高島市でがんばる「αセミナー」代表ブログだよ!

どの大学に行こうか?

皆さんお早うございます。今日も元気に1日楽しみましょう。

10年後の自分をイメージせよ

と言われても,なかなかできるものではない。

では数年後はどうか。

大人でも難しいこの質問に

高校1年生は答えなくてはいけない。

どの大学のどの学部に行くのか。

イメージがつかめないらしい。

そりゃそうだろう,自分に何が向いているのかなんてわかるわけがない。

そこで私の場合の話をする。

私は,とりあえず“知りたい”ことが多かったので

勉強できるところならばよかろう。何から勉強するか。

ますば頭のやわらかいうちに,自然科学をそのあと人文科学と行こうと決めた。

このときには仕事のことは考えなかった。就職という考えはことさらなかった。

そして自然科学ならば数学かそれとも物理か,一番関心のある物理に決めた。

大学はこの分野で一番のところに決めた。その当時日本で唯一のノーベル賞受賞者のいる大学へ。

いったん決まると,受験勉強もはかどる。

目標ができれば,あとは淡々と勉強するだけでいい。

さてさて,この目標がなかなか決められないのが難点だ。

どうするかな?

じゃねーバイゆあぐれーとパパより


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一番勉強するときを楽しめ

皆さんお早うございます。今日も元気に1日楽しみましょう。

穏やかな日もあれば,今日のように

大粒のあられを含んだするどい風が顔を殴るように吹き付けてくる日もある。

こうして日々天気は変化があり,季節も巡るので

私は一日一日を確認する。

今週末は国公立大学の入試の日だが

生徒は日々緊張が高まると言っている。

でも,朝から晩まで,教室で頑張っている。

たぶん人生で一番必死に勉強している時期だし,

学力も一番伸びる日々なので

大いにこの時期の意義を春になったら確認してもらおう。

こんな嵐のような日の後にも

あたたかい春が来るのだ。

そのときにはじめて,がんばった自分をほめてあげよう。

さぁあと少し,楽しめ!

じゃねーバイゆあぐれーとパパより

いつも自分中心

皆さんお早うございます。今日も元気に1日楽しみましょう。

昨日の朽木の温泉はスキー客でいっぱいだった。

朽木の山の中にある,ゴルフ場,スキー場,そして温泉は

それぞれが幹線道路から専用の道路で登らなければいけない。

狭い,曲がりくねった道だが,素人目にはこれらの施設間を一本の道で結べばいいのに

と思うも,山の道なんてどのようにして作るのか知らないからたぶんできないのだろう。

温泉につかりながら,人々の話を聞く。

どうもいろんな施設が点在しているようで,ここに統合するというような

意思はないように思える。

そういえば,高島の施設もそれぞれの地域にばらばにあり,

総合的な計画なんてないのではと思えてきた。

自然発生したものにはこれでいいのかも知れないが,

人工的に作るものならば,もっと計画的にできる思うも

個人あるいは地域の自由ゆえ,なかなか統一はできない。

滋賀県の県庁所在地は,大津と彦根が互いに競ったので

軟弱なものになったとか。お陰で新幹線は変な場所に駅をつくり,

いまだにどうしようかと悩んでいるとか。

誰でも自分中心の生活空間を作りたい。でも,それぞれが自己を主張すれば

かえつて,不都合になる。

なかなかやっかいな人の感情だ。

じゃねーバイゆあぐれーとパパより

自己満足の可能性あり

皆さんお早うございます。今日も元気に1日楽しみましょう。

おいしいパン,おいしいチョコレート,おいしいケーキ

手作りのもの,あるいはちょっとした個人的な事業所で作るもの

身内で食べる分には確かにその範囲でおいしい。

でも

パンならば京都のドンクとか,サンドイッチならばとあるホテルのものとかに比べれば

比較にならないくらい差がある。

これが個人の限界か。

いまラーメンの場合は,どこそこと個人ががんばっているが

チェーン店の味に勝てるか。

本来ならば,手作りの,極めた名匠が作るものはたぶん

極上のものができるのだろうが

それすら,チェーン店での,標準化されたものに脅かされる。

コンビニのおにぎり,これよりおいしいものが手作りであるはずだが

まだ知らない。

個人では極めるのに限界があるのか。

食べ物にかかわらず

あらゆる事業がこうなっていないか。

極め方が自己満足になっていないか。

あらためて自分の仕事ぶりを振り返る。

じゃねーバイゆあぐれーとパパより




私の時間は無料じゃないよ

皆さんお早うございます。今日も元気に1日楽しみましょう。

無料です。無料です。

私は無料なんか買いたくない。

価値あるものには対価が必要。これ常識。

それでも無料攻撃があらゆるところに出没する。

チラシなどで,自分で選択できるのもならまだしも

電話でかかってくる攻撃にはたまったものではない。

最近は巧妙で,私につなぐように勧めてくる。

しかたかなく電話を替わると,等々としゃべり始める。

無料ですから,どうぞ!

私が電話にでている時間は無料じゃないよ。

貴重な時間を使っているということがわかっているのだろうか。

それにしても

不自由なく無駄話できるような余裕もいつも日にかはやってくるのだろうか。

じゃねーバイゆあぐれーとパパより

日々新たに,また日に新たなり

皆さんお早うございます。今日も元気に1日楽しみましょう。

今日もまた一日が始まる

今日は特別な一日が始まる

気分が違う。

私は朝,まず今日することをノートに書き込み確認する。

いつも通りの日であり,新たな日でもある。

朝はまずラッキー君と散歩し,朝飯前の英語の勉強をし,

そしてマミーが起きてからゆっくりと朝食をとる。いつも同じホットサンドだ。

そして新聞を読む。

いつものように。

それから,まず授業の準備をし,

次の自分のテーマのノートを作る。

昨日は生徒のための単振動を整理する。

今日はまた,化学平衡をまとめる。

夕方から高校生の授業となる。

こうしていつものように一日が過ぎる。

同じような日,そして昨日とは異なった日。

時折,おもいっきり異なった日を送ったりもする。

今年はどこに行こうかなど考えて。

いつものように,そして新しい日々が来る。

じゃねーバイゆあぐれーとパパより

多少ぶれても目標に向かって前進するのみ

皆さんお早うございます。今日も元気に1日楽しみましょう。

世の中にはトラップがごまんとある。

無料お試し,おめでとう当選,ちょっと試すだけ

誰も自分がこんな罠にかかるなんて思っていない。

そしてふたを開けたら,どっぷりとつかっていた。

そんな中でも悲しいのが,数々ある入試のチャンス

冷静に判断すれば,無謀ということがわかっているのに

つい,ひょっとしたらという誘惑に載ってしまう。

仕方がない人間の性だが

果たしてこれが克服できるかどうかは大切な経験であり,チャンスである。

本来の自分の目標をしっかりと持っていれば

多少ぶれてもまたもとに戻り,目標に向かって前進できる。

幸い多くの卒業生たちはこれを学び,そして手に入れてきた。

この時期になると,こんなシーンが毎回起こる。

克服できるのは自分だけ。自力で前進する力を見出してほしいものだ。

じゃねーバイゆあぐれーとパパより



漢文朗読のあとは数学だ

皆さんお早うございます。今日も元気に1日楽しみましょう。

高校生の授業の始まりは各学年とも2クラス合同で

高校1年生は『大學』を,2年生では『中庸』を読んでいる。

楽しいらしい,たぶん。私はこの朗読と斉唱を楽しんでいる。

のりのいい,2年生では特にこのためにも早く来る生徒がいるくらいだ。

大きな声で読む。時折間違って読む。これも笑いがあり,緊張がほどける。

そして,その後,それぞれクラスに分かれる。

私のクラスは数学の授業となる。

微分の授業だった。生徒は必至で問題を解く。

時計を見て,あれ,はや9時だの声に私も時計を見る。

早い,早すぎる。

この集中力が来年はカギとなる。

はやくも来年の今を見つめての生徒たちの姿勢は感動もの。

じゃねーバイゆあぐれーとパパより

学びを卒業?

皆さんお早うございます。今日も元気に1日楽しみましょう。

大学卒業

これで学業は卒業だ

の人は多い。やれやれ,これでやっと勉強から解放される。

もっとも,果たして日本の大学の場合でもこんな感想を得るくらい勉強に追いまくられている

大学があるとは思えないが,それでも,試験のない世界に入れる解放感はなんとも言えない。

私の場合は正式の卒業式そのものがなく,この経験がなく

直ぐに専門学校に入学したので卒業という感覚もない。

また,そんなに追い込まれたものもなく,2年生のときにすでに大半の単位は修得していたので

あとは好きな物理だけをしておけばいいので,切迫感もなかった。

4年次には,言語学やら文化人類学に興味をもち,こちらの勉強もしていた。

卒業後は語学学校もアテネフランセから,現在の講師学院まで実によく通ったものだ。

学ぶことって楽しいのだ。

私の周りには学びを楽しむ人が多い。

知らないことを知る。単なる好奇心の対象が,ちょっとだけ外に向いているということだ。

学ぶことって楽しいね。

じゃねーバイゆあぐれーとパパより

もう慣れましたよ

皆さんお早うございます。今日も元気に1日楽しみましょう。

もう慣れました。

まいにちが雪だと,生活の中では,これが当たり前になる。

生活のリズムも服装も,これにあってしまう。

ふと

私たちにとっては毎日勉強することは当たり前になっているのだが

中にはこれが非日常の人だっているのだ。

慣れれば当たり前のことが,慣れない前は戸惑いばかりで

なかなかなじめない。

勉強することが当たり前の生活になっていたら

わざわざ,“勉強”という言葉もなくなる。

いつも人は学び進化する。

じゃねーバイゆあぐれーとパパより